about

hyper technik / solid shock / clever beauty

「レントゲンヴェルケ」の由来

「レントゲンヴェルケ」とは、放射線の一種であるX線の意、「レントゲン」と、英語の「works(仕事)」に相当するドイツ語の言葉「werke」を組み合わせた造語です。 X線を意味する「レントゲン」は、自然界には存在しない、言わば人工の光線です。それは、人間の肉体を透過し、骨格を中心とした内側を映し出します。 私たちはその効果をアートと同一と考えます。 「art」という単語は、「人工の~」を表す単語「artificial」から派生した言葉であり、「art」とは、人工物=人間が作り出すものの総称と捉えることができます。それらが時として人を感動させ、時として人を幻滅させる、つまりは内側を映し出すのです。 「レントゲン」も「アート」も、人間の作り出したものであり、人間(アーティスト)の内面 を映し出すという意味において、シンクロするのです。 また、「レントゲン」は、放射線の測定単位の一つです。つまりは、「エネルギーの数値化=作品の価値付け」という式を導きだします。これは、私どもが自らを誇りを持ってコマーシャルギャラリーである、という事の証左なのです。 さらに、日本国内には無数のギャラリーがありますが、ドイツ語の名称を持つものは、私どもを含めて、ほんの数社です。でありながら、小学生でもわかる「レントゲン」という単語を用いる事により、一度聞いたら忘れないポピュラリティを得ようと考えています。そこには、「個性と普遍性」というアートの持つべき力を表象させようという思いも込められています。 「レントゲンヴェルケ」とは、人間が作り出すことのできる「美」と、アートにかかわる仕事に対する賛美から生まれた名前なのです。

 

 

沿革

1991年6月6日、池内務(現レントゲンヴェルケ代表取締役)は東京・大田区の大森に、美術総合商社、株式会社池内美術の現代美術部門として「レントゲン藝術研究所」をオープンしました。 倉庫を改造した60坪・3階建てという巨大な空間では、「ワンナイト・エキシビション」と名付けられた、たった一夜だけの新人の展覧会や、今をときめく評論家椹木野衣のデビュー・キュレーションとなる「アノーマリー」など、昼夜エネルギッシュなイベントが繰り広げられていました。 今や世界的トップアーティストの村上隆、アジアを中心にユニークな活動を続ける小沢剛、絶大な人気を誇る会田誠、カルトスター飴屋法水といった作家達が、当事都内最大級と言われた空間を所狭しと活用していました。 1995年6月「レントゲンクンストラウム」として青山に拠点を移動。常に極端なあり方を目指すレントゲンは、都内最大級から、最少級のスペースへとドラスティックな変化をとげ、わずか四畳半の空間にアーティストのエネルギーを凝縮し続けました。 この時代には、ヴェネツィアビエンナーレの日本代表にもなった小谷元彦、欧米を中心に人気を集める篠田太郎、常に話題を提供し続ける中山ダイスケ、パブリックアートの雄、フロリアン・クラール、英国を代表する作家の一人ともいえるサイモン・パタソンといった作家達の展覧会を開催しました。 2001年12月、池内務は株式会社池内美術からの独立を果たすと同時に青山を離れ吉祥寺に移転。 「hyper technic」(超絶技巧)、「smooth surface」(平滑表面)、「cool beauty」(冷徹美学)を標榜し、翌年6月より「レントゲンヴェルケ」として活動を開始しました。 クンストラウム後期からじっくりと仕事を開始した長谷川ちか子の強烈なインスタレーション、緻密なコンセプトと作品で知られた笹口数、後に大ヒットを生み出す桑島秀樹といった作家の展覧会を開催しましたが、03年4月に「コンプレックス」オープンと同時に六本木に移転、05年6月に株式会社化し、同年7月には、大コレクター、故・小笠原年男氏より引き継いだ那須の「藝術倉庫」の運営を継承しました。 2008年3月、六本木「コンプレックス」の契約終了に伴う閉鎖から、実に4回目の移転。日本橋馬喰町の「ラディウム」 をオープンしました。この移転に伴い「hyper technik」(超絶技巧)、「solid shock」(固体衝撃)、「clever beauty」(怜悧美学)をコンセプトにかかげ、毎月企画展を開催しています。 今後もレントゲンヴェルケは、内外のアーティストと共にレントゲン的なる美学を追求していきます。